野球のこと

2010年10月08日

大沢啓二元監督のご逝去した今、
数え切れないくらいの多くの思い出がある中で、
私にとって最高の思い出は、
一番星さんが投稿していただいている試合です。
93年のシーズンは、
現役時代の私にとってもっとも優勝に近づいた年です。
当時常勝チーム、磐石の強さを誇っていた西武ライオンズに対して、
最後まで追い詰めることができたシーズンです。
このシーズンはワクワクしながら、
そして高い緊張感と意欲に満ち溢れて球場に足を運びました。
生活の全てが優勝を意識したシーズンであり、
毎日が充実したシーズンを過ごすことができたのがこの年です。
その中でも近鉄バファローズとの試合は、
優勝争いに踏ん張ることができるかどうかターニングポイントになる試合でした。
緊迫した展開の中で判定をめぐり試合が中断し、
大沢監督が放棄試合も辞さない構えで抗議しました。
あのときのほど試合にかける情熱の激しさ、
気迫を感じたことはありません。
あの抗議する姿はいまだに脳裏に鮮明に焼きついています。
そしてその姿がチームにエネルギーを注ぎ込み、
私のサヨナラホームランにつながりました。
延長12回裏2アウトランナー無し、
制限時間を過ぎてこれ以上の延長がなくなり、
引き分けでは優勝への道が断たれてしまう状況でした。
優勝戦線に残るには勝つしかない状況で、
相手はバファローズの絶対的守護神赤堀投手でした。
2アウトからの連打は望めないほどの投手に対して、
「ホームランを打つしかない」と強く感じて打席に向いました。
私は狙ってホームランを打てる打者ではありませんが、
そのときに打席に向う私は、
「もしホームランが打てるとしたらインコースの低めのボールしかない」
「2ストライクまではインコースの低めのボールを狙ってフルスイングをする」
不思議なくらい冷静な思考がありました。
「必ず打つ」と燃え上がるような闘争心と、
力みのないリラックスした身体、
沈着冷静な思考を持ち合わせていたのです。
そして赤堀投手の投じたボールが、
狙っていたインコースの低めに来た瞬間に、
自然に身体が、バットが反応したのでした。
ベンチの想いが乗り移ったような打球がフェンスを越えた瞬間、
嵐のような興奮が体中を包み込みました。
知らない間に飛び上がりながら何度もガッツポーズをしている自分がいました。
打席に向う冷静さとはうって変わり、
あれほど興奮したことはありません。
ダイヤモンドを1周してチームメイトに迎えられ、
手荒い祝福を受けた後に大沢監督の姿が見えました。
そして気がつけば大沢監督に胸に飛び込んで、
お互いに涙を流しながら抱き合っていました。
私の野球人生で、
あの時の喜び、興奮は決して忘れることのできないシーンです。
私にとって最高の思い出であり、
あのホームランを打てたのは、
大沢監督の野球にかける想い、
勝負にかける執念がバットに、
ボールに乗り移り、
信じられないような大きな力を与えてくれたおかげです。
たくさんの教えをいただき、
大きな包容力で支えていただき、
そしてこれからももっとたくさんのことを学ばせていただきたいと思っていました。
残念ながら今後直接指導を受けることはできませんが、
野球にかける想い、勝負にかける執念、
あの優しさと包容力は、
永遠に教えとして残ります。
本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌。


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この記事へのコメント
あの試合について書いていただき、嬉しいです!ありがとうございます!
札幌ドームに何度も足を運んでる生粋の道産子の自分ですが、
白井さんをベンチやサードコーチャーボックスやSTV解説で見かけるたびに、
あのサヨナラホームランをいつも思い出しておりました。

自分が高校生の頃で、本当に感動したのを覚えてます。
当時の日記にその興奮が残ってる程…。
こうして白井さんの当時の想いを読んでるだけでも、燃えてきます!
それほどにアツイ試合でしたね~。

今後、白井さんが野球人として、色々なチームでご活躍される事を願っております!
Posted by 一番星 at 2010年10月09日 00:32
あの試合について書いていただき、嬉しいです!ありがとうございます!
札幌ドームに何度も足を運んでる生粋の道産子の自分ですが、
白井さんをベンチやサードコーチャーボックスやSTV解説で見かけるたびに、
あのサヨナラホームランをいつも思い出しておりました。

自分が高校生の頃で、本当に感動したのを覚えてます。
当時の日記にその興奮が残ってる程…。
こうして白井さんの当時の想いを読んでるだけでも、燃えてきます!
それほどにアツイ試合でしたね~。

今後、白井さんが野球人として、色々なチームでご活躍される事を願っております!
Posted by 一番星 at 2010年10月09日 00:32
Youtubeにあります。
http://www.youtube.com/watch?v=U1psJstL7Ts
みんな若い。
Posted by K at 2010年10月09日 00:46
Kさんありがとうございました。早速見ました。生で体験出来たらどれだか嬉しかったでしょうか!羨ましいです。動画の大沢監督の涙・・・どんなにみんなの気持ちが嬉しかった事でしょうか。すごく伝わってきて涙がでてきました。白井さんは3番だったのですね。ケンスケと同じなのには何か縁を感じました。ケンスケも噂では自分の道を見つけたようですね。どこへ行っても応援しますし自分らしく楽しく野球して欲しいです。簡単ではないのはわかっていますが・・白井さんの自分の野球  白井野球を私は楽しみにしています。   
Posted by もこ at 2010年10月09日 12:35
白井さん
悲しい知らせの中、色々な思いが去来していることでしょう。朝の番組からも温かい人柄が伝わってきました。
白井さんのサヨナラホームランの試合は、残念ながら知らなかったのですが、このブログを読んでポロポロと涙が溢れてきました。大沢親分の人柄と情熱とともに白井さんの野球やチームに対する熱いも同時に伝わってきました。
本当に惜しい方を亡くしてしまいました。その思いは白井さんや後継者が受け継いでいってもらえると願っています。
Posted by ちょこ at 2010年10月09日 15:12
あの試合のヒーローインタビューで、「監督の抗議をしている姿を見て、この監督について行こうと思いました!。」…との白井さんのコメントは、未だに忘れられません。
あの年は、久しぶりにファンも燃えましたね!。
Posted by ゆきぽん at 2010年10月09日 21:16
あの試合のヒーローインタビューで、「監督の抗議をしている姿を見て、この監督について行こうと思いました!。」…との白井さんのコメントは、未だに忘れられません。
あの年は、久しぶりにファンも燃えましたね!。
Posted by ゆきぽん at 2010年10月09日 21:16
こんばんは。

白井さん。

正直に、ファイターズが北海道にこなければ、大沢さんのとと、パリーグ、日本プロ野球に精力を尽くしている実感は湧きませんでした。

そして、白井さんの一般講演で、その実感は確信でした。

北海道の野球、その意向、想いは、少なくとも、いちファン、草野球プレヤーの自分に大きく、衝撃と実践をいただきました。

タイミング。

全力を尽くしたから、得られる結果だと思います。


自分の中での野球のボトムは、白井さんが生み出した00年ころの提案書だと思います。

北海道が一通過点だったのか?
間違いなく通過点です。

また、通過点に戻っても、いいと思います。

ナイストライを暖かく見守ります。

自分の打撃も、実践でも結果がでてきました。
右ではなく、左打席ですが、白井さんの理論と、
チームメートのアドバイスもあり、インサイドアウト
何となく結果がでています。あと、トップだけです。
極端に言えば、トップなんて気にしなければの状態
ですが、一歩づついきます。
確かめながらです。
Posted by マッキ at 2010年10月10日 00:21
白井さん。。。大沢親分がいなくなっても、白井さんや他のOBはいっぱい心に大沢イズム受け継いでいますよね。その思いをいつかファイターズに繋げてください。
北海道で、あの感動をもう一度、白井さんが指導者となって
成し遂げてください。大沢親分に届くように。
その日を待って信じています。
Posted by HOKKAIDO愛 at 2010年10月10日 13:55
1981年から野球を観てますが、私もあの試合が一番感動したベストゲームです。当日はテレビ埼玉で観てましたが、監督、選手の気迫がすごく伝わってきました。本当に後がない中でのサヨナラホームラン、劇的すぎて声に出して泣きました。こう書いてる間でも感動がよみがえってきます。大沢野球は強くても弱くても楽しく大好きな野球でした。大沢さんがいなかったらファイターズのファンにはなってません。今の北海道で大沢さんの指揮を観たかったです。数字では分からない人の心をつかむ野球だったんですから。ありがとう!親分!白井さんもいつかファイターズで!!!
Posted by GM at 2010年10月10日 15:12
 大沢親分が南海ホークスで現役のころ、阪神と日本シリーズ、ということがあったそうです。(南海のキャッチャーは野村前楽天監督)御堂筋の北と南にそれぞれの球団事務所があったので、「御堂筋対決」と呼ばれたとか。

 ところが、なんと、日本シリーズ開催の時期が東京オリンピックと重なり、地元大阪は別として、日本中の注目はオリンピックに向けられちゃったのだそうです。(親分と野村さんのぼやきが聞こえそう・・・。)

 親分が亡くなってしゅ~んとしている私に、こういうエピソードを話してくれる野球ファンがいる。また、このブログを見れば、白井さんだけでなく、読者からのいろいろなエピソードや思いに触れて、胸が熱くなったり、ほっとしたり。

 分かち合えること、気遣いあえること・・・ほっこり暖かさを感じるきょう、この頃です。

 
Posted by Keep going ! at 2010年10月10日 18:39
あの試合、自分は東京ドームのライトスタンドで応援してました。

大沢監督の猛抗議で試合が中断になった時は、ライトスタンドは静まりかえっていました。片岡選手の空振りがファールと判定された時は、スタンドは大ブーイングでした。

そしてサヨナラHRを打った白井さんが、二塁ベース付近で何度もジャンプして喜んでるシーンを今でも覚えてます。
ライトスタンドの観客も勿論、総立ちでした。
あの感動的な試合は、一生忘れません。

そして大沢さん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
Posted by しどらー at 2010年10月10日 19:05
日曜日鎌ヶ谷に大沢監督への献花に行かせて頂きました。
世間は行楽シーズンの3連休なのに、
シーズンオフのファームの球場に、それなりの人が集まっていました。
大沢監督の写真の前にはたくさんの花が…
これが人徳というものですね。

またグラウンドや室内練習場では一部選手が練習していました。
その中には戦力外の多田野選手や木下選手も。

試合の無い球場なのに、人生の縮図を感じずには居れませんでした。

ファイターズはまた大きく変わりそうですが、
人生同様止まることなく、歩み続けるしかないのですね。

なーんて少し大袈裟ですかね(笑)
Posted by 刺身たんぽぽ職人 at 2010年10月11日 00:42
白井様以前神宮球場のカフェで、中畑氏と伴ってお会いし御名刺を
お渡したプロスポーツテクニカルコーディネーターの松林正曉です。白井さんの堅実な守備力とあの時のサヨナラ弾が、当時セカンドを守っていました球児の私の心を揺さぶったものでした。忘れられないです。大沢さんは私の父とも親しかったもので三年前他界した私の父と大沢さんが齎して下さった白井さんとのご縁と感じております。シーズン頑張ってください。応援しております。松林正曉 拝
Posted by 松林正曉 at 2012年06月10日 16:46
白井さん、うんとうんと遅ればせですが、あのサヨナラホームランを東京ドームライトスタンド57番通路で見ていました。あの低い弾道のホームランがライトスタンドの割と前の方に飛び込んだ瞬間、あれは絶対忘れられません。失礼ながらホームランバッターではない白井さんがあれを打たれたということ、同学年である私の人生の大きな指針になっています。その翌年のキャンプへの移動で、東京駅の地下ホームでいただいたサインは私の宝物です。今後も後輩たちを大いに鍛えてください。
Posted by タム親父 at 2014年09月07日 18:58
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